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zoom RSS Maysa (前編)

<<   作成日時 : 2011/09/22 23:32   >>

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音楽ってパっと聴いて、ツマンネ と思ったら聴かないっていうのは良くないですよ。


特に今は、なんでもネット上で試聴出来て、好きな曲だけダウンロードして、一枚のアルバムを通して聴くことも少なくなってるよね。
下手するとイントロだけ聴いて、趣味が合わないとすぐに却下とか。

好きな音楽と出会える機会が増えたぶん、好きになるかもしれない音楽を切り捨ててしまってませんか?
それだと 「音楽を聴く耳」 の進歩が無いようにも思う。

「音楽に教わる」ってことがだんだん無くなってきてるよな、最近は・・・・・

つまらない、と思ってた音楽も何度か聴くうちに味がわかってくる、っていうのがLPレコード世代のオレなんかが大事にしてるところです。

だから、前回に続き今日も、最初聴くとアレかもしれない音楽です。


ブラジル女性歌手の中でも非常に大きな存在でありながら、何故か日本ではあまり語られることがない人。

マイーザ (1936〜1977) サン・パウロ生まれ



貴族の血筋の家庭に生まれ、17歳の時にブラジルで第一の大富豪、マタラーゾ家にお嫁入り。

子供の時から歌が上手で、56年に出したファーストアルバムは全曲自作の歌。
ところがマタラーゾ家としては、嫁が芸能界にデビューすることには反対で、そのアルバム・ジャケットにマイーザの顔を
出す事を許さなかった。

苦肉の策と言うべきか、ジャケットは花束と「マイーザの音楽へご招待」というカードのみの写真で、当時としては異例のレコードだったようです。

さらにそのレコードの売り上げは、ガン撲滅の基金に全額寄付、マタラーゾの家名を汚さないためでした。

そのファースト・アルバムから。
歌はかったるいんだけど、マタラーゾとの結婚式の様子が興味深い。

カトリック国のブラジル上流階級の結婚式の様子、さらに17歳の花嫁に対し、新郎はハゲたオッサンていうところが・・・・
この結婚式、時のローマ法皇ピオ12世から直接祝福のメッセージが届いたとか・・・・・





緑色の大きな瞳のマイーザは、この後マタラーゾのもとを離れる。
大富豪の妻であれば望むものはなんでも手に入っただろう。
だがどうしても手に入らないもの、歌う自由を手にするために、マイーザはその地位を捨てた。

この事と、その後多くの男と浮名を流した事が、おそらくマイーザのイメージを極端なものにしたように思う。

今より保守的な50年代後半においては、マイーザの苦悩は現代では想像することも難しい。
マイーザの世界が夜の世界、メランコリックな世界であることが多いのも、こういう背景からではなかったか。


離婚後、最初につきあったのはホナウド・ボスコリ。 

ボスコリは音楽プロデューサー、作曲家で、それまでナラ・レオンとつきあっていた。
マイーザが原因で、ナラはボスコリから去り、同時にボスコリのやっていたボサ・ノヴァ音楽からも決別した。
その後ナラはプロテスト・ソングや古いサンバなどを歌うようになる。

つまりナラの音楽を方向転換させ、結果としてプロテスト・ソングの女王としてナラの人気を後押ししたのがマイーザだった、と言える。

だがナラをボサ・ノヴァ歌手から転向させた、ということで旧来のボサ・ノヴァ・ファンからもマイーザは後ろ指を指されるようになってしまう。

ブラジルに居づらくなったマイーザは、スペイン人の音楽プロデューサーとヨーロッパに脱出、そこで人気が出た。
映画の主題歌を歌ったりで、パリのオリンピア劇場を二晩にわたって満員にすることもあった。

(なお、プレイ・ボーイのボスコリはその後エリス・レジーナと結婚)

59年、典型的なマイーザ節、これはけっこう明るいほう。 ジャズっぽい。




60年のアルバムから
古いスタイルのサンバ・カンソンとボサ・ノヴァが混じってる。





実はブラジルの大衆音楽を全体的に眺めれば、ボサ・ノヴァやMPBのリスナーはごく少数派であったことは銘記しておくべきだろう。
おそらくマイーザに類する音楽はむしろ主流派であり、彼女は日本における演歌歌手のような、根強い人気に支えられていたと思う。 

マイーザにとってボサ・ノヴァは新しい音楽スタイルだったろう。
初期の彼女のスタイル、すなわちサンバ・カンソンの歌手たちが、ボサ・ノヴァをどのように取り入れていったのか?

最近このあたりに興味があって、何人か追っている歌手がいる。 前回のオリヴェイラ、今回のマイーザもその観点から眺めている。

61年、ボスコリの曲。 これもボサ。




ところでボサの次に、60年代半ばからはMPBの波がやってくる。 両者の時間差は約10年と見てよい。
ボサの歌い手がMPBに乗るのは結構難しかったようである。

例えば アライヂ・コスタ、 クラウデッチ・ソアレス、 ドリス・モンテイロ  といった有名ボサ・シンガーはMPB界には来ていない。 


サンバ・カンソンからボサへ  と  ボサからMPBへ  とではどっちが大変だったんだろう。

どっちも結構大変だった筈、と思う理由がふたつある :

ひとつ
前回のオリヴェイラも、それより少し若いエリゼッチも、結局ボサ・ノヴァを歌いきれていない。

ふたつ
サンバ・カンソン → ボサ → MPB と見事に三段飛びをこなした女性歌手が想い浮かばない。 (男性歌手については不明)
マイーザにもMPBと呼べそうな曲はないし、MPB系作曲家の歌もほとんど歌っていない。


マイーザは何故か日本ではサンバ・カンソンの女王みたいな分類が多い。
一面そのとおりだとは思うが、どうもマイーザの全貌を表す修辞としては不十分なのではないか?
彼女はボサ・ノヴァ歌手もこなしたし、晩年は独自の世界を築いてもいる。

それは言ってみれば 「モダン・サンバ・カンソン」 とも言える音楽だった。

最近ブラジルではマイーザ再発見の動きが見られ、2009年には伝記物語がTVドラマに登場している。
You Tube でもほとんど全てのアルバムの、全ての曲が聴ける状況。

生前残した17枚のアルバムを全部通して聴いたり、彼女の歴史を調べていたら、更新が一週間も途切れてしまった。


次回、後編です。









   

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コメント(1件)

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やっと思わず寝過ごしてしまう秋に。。
じっくり聞くのによいですね。確かに自分はぱっと聞いてやめたりします。。。。
人に歴史ありでそれが又音楽の歴史に関連してくると聞き方も深くなります。 はい。
変態通行人
2011/09/23 13:08

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