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zoom RSS 書評: 「レッキング・クルーのいい仕事」

<<   作成日時 : 2013/02/24 00:05   >>

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新入生のH氏より借りた本。
60年代初頭から70年代はじめくらいまで、ロスの音楽シーンで裏方として多くの楽曲の録音に参加した、スタジオ・ミュージシャン達の知られざる物語。

ザ・バーズ、ビーチ・ボーイズ、ライチャス・ブラザース、ママス&パパス、フィフス・ディメンション、サイモン&ガーファンクル、ニール・ダイアモンド、カーペンターズ、バーブラ・ストライザンド、キャプテン&テニール・・・・

チャート上位を占めた彼らのヒット曲のバック演奏が、実はほとんど「レッキング・クルー」と呼ばれた腕利きミュージシャン達によるものだったと言う事実。

The Wrecking Crew とはそれまで音楽界を支えていたジャズ系、あるいは「健全な」ポップスを奏でていた、ネクタイとジャケットを着た年配音楽家から、ラフな服装でロックン・ロールを演る若手ミュージシャンが「こういう連中がノしてくれば業界は破滅 (Wreck) する」という危機感をもって渾名されたことが由来だと言う。

レッキング・クルーの具体的なメンバーは以下のとおり:


*キーボード

アル・デロリー
ラリー・ネクテル
マイク・メルヴォイン
ドン・ランディー
ミシェル・ルビーニ
リオン・ラッセル



*ギター

デニス・ブディミール
ジェイムス・バートン
グレン・キャンベル
アル・ケイシー
デヴィッド・コーエン
ジェリー・コール
マイク・ディージー
バーニー・ケッセル
ルー・モレル
ドン・ピーク
ビル・ピットマン
マック・レベナック(ドクター・ジョン)
ハワード・ロバーツ
ルイ・シェルトン
ビリー・ストレンジ
トミー・テデスコ



*ウッド・ベース

チャック・バーゴファー
ジミー・ボンド
ライル・リッツ



*エレキ・ベース

マックス・ベネット
キャロル・ケイ
ジョー・オズボーン
レイ・ポールマン
ボブ・ウエスト



*ドラムス

ハル・ブレイン
フランク・キャップ
ジム・ゴードン
アール・パーマー


・・・・・ はい、見事に聞いたことのない名前ばかりです。数名を除いては・・・ この他ホーンやパーカッション奏者の名前も挙がってますが全然聞いたことないので省略します。

彼らはオモテに名前が出ることがなく、レコードのパーソネル(演奏者)リストにもクレジットされなかったというから、知らなくて当然と言えば当然なのだ。
オレが名前を知ってる数名とは、すなわち70年代以降、スタジオメンから脱皮してソロ活動を始めた人達に他ならない。リオン・ラッセルとかバーニー・ケッセルとか・・・


60年代、ビートルズが出てきた頃、アメリカで英国勢に対抗できる音は旧来のミュージシャン達では出せなかった。
優れたプロデューサー、アレンジャーとともにセンスがよく、テクニックも抜群な若手ミュージシャンはおのずと数が限られたのだろう。
そこで彼らに仕事が集中することになる。
実際、ザ・バーズのヒット曲「ミスター・タンブリンマン」の演奏のほとんどがレッキング・クルーのものだ、という事実はショックだった。
これは他のアーティストのヒット曲にしてもそうなのだ。

物語は音楽好きだった各地のティーンエイジャー達が、各自いろいろなチャンスや幸運を得てLAに出てきて、いつのまにかそこの音楽界で重宝される存在になってゆく経緯を描く。 

名プロデューサー、フィル・スペクターは初めはギタリストを目指していたが才能が無くてあきらめた。
だが、高校3年生のときに作った曲が全米1位になってしまった、など興味深いエピソードが無数に出てくる。

ザ・バーズ以外のバンドでもレコーディングでは各担当楽器を影武者が演奏していたわけだが、中にはこれに不満を漏らすバンドもあった。 だがレコード会社は決してそういう連中に演奏はさせず、短時間で要領よくまとめるレッキング・クルーに、バンドの何倍ものギャラを払って録音させ、ヒット作に仕立てたのだった。

そのように隆盛を極めた彼らが70年代が進むにつれ、時代遅れになってゆくのは何故だろうか?

ひとつにはこの頃、実際に自分たちで演奏することが出来て、また演奏も上手い、ドゥービー・ブラザースやフリートウッド・マックといったバンドの人気が出たこと。
ふたつめはスタジオの録音技術やシンセサイザーの進歩により、録音自体の手間が省け、必要なミュージシャンの数が減ったということ。
さらに当時流行りだした「ウエストコースト・サウンド」は、すでにレッキング・クルーの出す音を時代遅れにしていたのだった。

ここに書かれているのはLAシーンに限った話である。
当時どこよりも音楽産業の規模が大きかったLAであるが、ニューヨークやメンフィス、ナッシュヴィルの音楽シーンにもそれぞれ同様に常連スタジオメンは居た。
そう言った他のシーンへの言及はほとんど無いが、どうもLA以外ではスタジオメンの流行り・廃りはLAほどでは無かったのではあるまいかと思う。
例えばNYのコーネル・デュプリーやバーナード・パーディーは少なくとも90年代までは第一線で活躍しているではないか。

と言うことはLAシーンはその規模が大きいゆえ、流行の先端を走ると同時に、それがめまぐるしく変わるということだろう。
例えばレッキング・クルー時代はヒゲもはやさず、髪もキレイに切っていたリオン・ラッセルが、そういう流行による浮沈から距離を置き、自分のやりたいアーシーな音楽を追求、シェルター・レコードを創設したのだ、と考えれば納得もいく。

ところで冒頭にあげたアーティストはオレがあまり聴いてこなかった人達だ。つまり60年代のポップスをちゃんと聴いていない、ということを痛切に感じた。
自分がリアルタイムでロックやポップスを聞きだすのは70年代中盤、すなわちポスト・レッキング・クルーの時代からなのでどうもピンと来ない、と言うのが本音である。

思えばレッキング・クルーを時代遅れな音として駆逐した後、フュージョン音楽などで人気を博したLAのスタジオ・ミュージシャン達は、匿名性どころか自らの名前を売りに売ったと言える。
レッキング・クルーの後期に参画したラリー・カールトンなどがそうだ。プロデューサーの名前までは公表されても個々のミュージシャンはクレジットされなかった60年代、匿名のまま音楽シーンの表舞台から去った音楽家たちへの挽歌、というのがこの本の主題である。

売れなくなった彼らの中で、その後ソロ・アーティストとして活躍できたのはわずかだった。
伝道師になった者、映画音楽やライブラリー音楽に行った者、引退した者など、さまざまである。

1992年、フィル・スペクターが、久々に当時のメンバーを集めて録音をするが、新しい設備のスタジオとそこのクルー達の仕事ぶりが、もはや60年代の手作り的な音造りとは一切無縁であることがわかり、
時代の移り変わりに愕然とする最終章が印象的だった。

ところで、この本の著者はギター・フリークなんだろうな。 フェンダーのプレシジョン・ベースとか、グレッチのギターとか、紹介される楽器がかなり細かく説明されてるところが面白い。

あと、誤字脱字がけっこうあって気になったので、第二版以降の改善を望みます。



「レッキング・クルーのいい仕事」 ロック・アンド・ロール黄金時代を支えた職人たち

ケント・ハーマン著  翻訳:加瀬俊  
2012年11月25日・日本版初版 Pヴァイン・ブックス




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