1965 Byrds




アメリカの「ニューロック」の旗手、バーズのヒット曲。 実はこの曲、僕が初めて好きになったロックなんです。
小学校の6年くらいのときに聴いたような・・・ なんかすごく美しい曲だな、と思った記憶がある。
その後中学三年間はずっとクラシックばかり一日何時間も聴いていて、本格的にロックに目覚めるのは
全寮制の高校に行って友人の影響を受けてからなんですが・・・

バーズがビートルズの影響を受けてるのは間違い無いですが、この時代アメリカの音楽シーンは社会運動と密接なつながりがあって、プロテスト・ソングの潮流は主にフォークが引っ張っていたと記憶します。 ジョーン・バエズとか
ちょっと遅れてボブ・ディランとか。

実はディランの批判精神はジョン・レノンに大きな影響を与え、以後ビートルズも政治的なテーマを歌うようになり、
特にレノンは体制側から危険人物と見なされてマークされるのはご存知のとおり。

前回まで白人と黒人の音楽が影響しあって新しい音楽を作り出す流れを見てきましたが、今日はイギリスとアメリカの音楽の相互影響について語ってみましょう。

そもそもビートルズは戦後のアメリカ進駐軍の放送がドイツや英国で流したエルヴィス・プレスリーのR&Rなどのアメリカ音楽に触発されて自分たちのスタイルを形づくるのです。 (これは同年代のヴァン・モリソンも同様ですが、この人についてはまた別の機会にたっぷり・・・)

とは言え、アメリカ音楽だけがビートルズの骨格である訳ではなく、当然イギリスのポップミュージックの伝統がその背後にあるのは間違いありません。それまでの英国民衆音楽って日本ではあまり知られてませんが、ジグなど
意外にダンスミュージックと言える形態を持っている。もちろん黒人音楽のような強烈なビート感覚は無いが、確かに村祭りなどでみんなで踊ったであろうような軽快な音楽があるんです。

ちょっとカントリーの話になって恐縮ですが、いろんなルーツを持つカントリーのひとつの大きな源流はこの英国音楽にあるのでは? と思っています。 ですから英国 → アメリカ → 英国 と振り子が振れるようにじっくり影響しあってきた両者の音楽が、ラヂヲという新しい媒体を得て、その影響力もスピードも拡散力もケタ違いに高まってきて
戦後の音楽が形成されていくのです。

バーズの音楽はそれまでに何度も影響しあってきた英米の音楽の、この時点でのひとつのアメリカ側の回答ですね。 ビートルズという新しいスタイルの音楽に影響されているのです。

だけどこの時期、アメリカ側はサイケデリック革命すなわちドラッグ文化から発した強烈なメッセージ性を音楽に付加するので、単なる英国の真似に終わらない。 仏教的であったり、哲学的であったり、最先端の心理学などであったり、とにかく西洋文化が行き詰ってきた60年代、新しいパラダイムを東洋などから導入して打開策を呼びかけたのはアメリカ側からでした。

だからバーズをビートルズの真似と言うことは出来ないし、それは皮相的な見方です。
リーダーのロジャー・マッギンのメッセージ性はディラン同様、英国人にかなりの衝撃を与えたはずです。
すなわちバーズ、ディランらが投げたボールを英国側は真剣に受け止め、また英国なりの回答を出してゆく・・・・

だからこれ以後の音楽では歌詞が重要になってくるのです。

_____________________

さて晩年のバーズはどんどんカントリーへ傾斜していきます。アメリカ白人が自然に戻ってゆくカントリーという寝床は我々には想像できないような心地よさがあるのかもしれませんね。

そうそう、ロジャー・マッギンは20年ほど前、ソロで来日したのを見に行ってます。
「この人ディランが好きなんだなぁ」という感想を持ったものでした。








この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 夏の夜に・・・・(4)

    Excerpt: 台風一過の涼しさで一息ついたけど、また明後日あたりから暑いようで。 Weblog: トリニティースクール音楽部 部室 racked: 2011-07-22 23:30