投稿: イギリスとアメリカの音楽

ここの読者で、昔一緒にトッドなどを聴いてた僕の中学時代の友人から、ものスゴく濃い内容の投稿です。

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貴殿の言うとおり、
同じプロテスタントを名乗っていても、
ドイツの所謂ルーテル教徒とイギリス国教会のそれとは、
全くと言ってよいほど違うのは確か。

ただ、

>旧世界におけるキリスト教においては教会が神の仲介者として君臨し、
>信者は聖書を読むことすら許されなかった。
>.教会に対する年貢・寄付も多大であるばかりでなく、
>教会は権力機構として、時に領主・国王とすら覇を競ったのである。
>民衆を愚民の状態にとどめ、
>教会権力は神聖不可侵な存在として神の代理人を名乗ったのだった。

というのは、ルターが出てきた時代よりかなり前の話だね。

ルターが説教を始めたのはルネッサンス期の16世紀。

カソリックの総本家であるイタリアでは、
前世紀から既に経済・文化の実質的な担い手は、
都市国家の支配的な豪商(メディッチ家が代表的)や、
ローマ法王領内で実質的に各地を支配した封権領主達、
それに騎士や市井の教養人などに移り変わっている。

ローマ法王の不可侵性や聖性は、
ローマへのフランス王シャルル8世やフランソワ一世の侵入という、
法王の権威を実質的に否定する様な事態の発生や、
個人主義的な人文主義思想の普及もあり、
本国である筈のイタリアでは庶民階層ですら、
疑問視する人々が多かった位に零落?していたしね。

ただし、文化面となると話は別。

この時代の代表的な芸術家や思想家・文化人は、
ほとんどがイタリア人で占められており、
ヨーロッパ全体が文化面ではイタリアの影響下にある状態が
長く続いていたんだ。

ここで、
ドイツ=神聖ローマ帝国に出現したのが、マルチン・ルターと言う存在。

当時のドイツって、
イタリア人達からヨーロッパの知的後進地域とさげすまれていた地域。

貴殿はルーテル教が商人階級の間で勃興したと捉えている様だけれど、
むしろ、ルターがローマ教皇の実質的支配と、
イタリアの文化的優越性を嫌う全ての層に対して、
アピールし利益がある内容を持つ教えを説いた。って言う方が正しいな。

個人ひとりひとりが神と向き合いうる存在である以上、
代理人たるローマ法王の至上権は否定される訳だし、
法王庁も無用の存在となってしまう。

さらに、煉獄の実在も否定されるから、
免罪符なんて必要ないし、
いわんや、十分の一税なんて支払う義務は存在しない。

っていう風に、ローマ法王庁を中心とする、
イタリアの豊かさを支えている屋台骨を全否定している教義が、
ルターの説くプロテスタントの教えだったんだよね。

天国の疑似体験の場所としての壮麗な教会や、
生活上身近な守護存在としての聖人や聖像崇拝など、
カソリックが長年かかって創り上げて来た、
庶民の信仰維持の為の優れたシステムの否定、
という問題点もあったのだけれど…

まあ、ルターの教えが凄まじい勢いで広まったのは、
当時ようやく単一民族としての自我に目覚め始めた、
ドイツ人の文化的コンプレックスの裏返し。
という要素が凄く強いんだけれどさ。

それが実際に爆発?したのが、
スペインと神聖ローマ帝国両国の皇帝だった、
大帝カルロス5世によるローマ侵略の時。

サッコ・デ・ローマとして知られる、
イタリアルネッサンスに最後の止めを刺した劫掠と破壊の主役は、
ライン・ネッキと呼ばれるルーテル教徒のドイツ人傭兵達だったんだ。

これによってローマ法王庁の権威は大きなダメージを蒙った。

そこでタイミングを待っていたかのように、
動き出したのが英邁極まりなかったイングランド王、ヘンリー8世!

この人は敬虔なカソリックの信者で、
先々代の法王レオーネ10世にプロテスタント批判の文章を送り、
激賞された事もあるのだれど、
本質的にはに政治的で視野が広く、
開明的な人物だったのではないかと俺は思っている。

カソリックから離脱するのにつけた理由が離婚問題っていうのが、
かなり笑えるな。

確かにこれならば、
ルターの様に深刻な教理上の対立がないだけに、
宗教儀式はカソリックのものをそのまま転用出来てお手軽だ。

国権の長と宗教の長が同一である政体に、
イングランドをもって行きたかったっていうのが、
この王の本音だったのだろう。

実際、
後にイギリスが世界帝国に大きく発展するのに、
この国家体制は大きく寄与した。

ついでに言えば王自身も、
結婚・離婚もいちいち法王のご意向を伺う事もなく、
自由に出来る様になった訳だしね(笑)

ただ、ここで不思議なのは、
修道院を潰しまくり、
反対者の大量処刑すら行なったこの宗教改革に対して、
国民・大衆からの大きな反対が起きた痕跡が余り無い事。

これが上から下までカソリックべったりのフランス辺りだったら、
法王からの破門っていうだけで、
死後天国へ行けない事への不安と為政者に対する反発から、
民衆蜂起が続発して収拾がつかなくなっていただろう。

やはりこれは、
この時代には既にイングランドと言う国が
いくつもの人種と文化の複合的産物として確立しており、
ひとつの宗教に対して狂信的になる様な
精神風土では元々が無かった、
というひとつの表れではないだろうか?

なにせ、イングランドでは大多数の、
アングロサクソンって言う人種自体が、
一応はゲルマン系の民族でありながらも、
ケルト系のブリトン人との混血の度合いがかなり強い訳だし。

多神教的要素が、
既に文化の下敷きとして存在していたと考えて、
間違いはないと思う。

おまけに同じ島には、
古い歴史を持つ異文化・異人種の国家的部族連合体がある、
スコットランドやウェールズという土地が存在しており、
地続きのイングランドとの間で、
古くから交易や衝突、さらに混血も繰り返して来ただろうし、
ローマ帝国の植民地化以降、
大陸との政治的・経済的関係も深かったから、
そこからも異文化を吸収する機会は否応なしに多かった筈。

そういう経験が長ければ、
カソリックにしろプロテスタントにしろ、
特定の宗派の教えを無条件に信じよう。
なんて気に当然なる訳がないわな。

大陸列強と直接的武力対決の機会が少ない島国で、
同じ王制の国家を成立させながらも、
絶えざる異文化との接触を強いられて来た事が、
いわば『岡目八目』的にカソリック中心のキリスト教文化の、
弊害を認識させた結果として、
ひとつの考え方を絶対視しない、
柔軟性のあり、良い意味で醒めたものの見方をする、
現在英国人にも見られる様な国民性を、
既に16世紀には成立させていたのではないか、
と、俺は考えているのだけれどね。

だから貴君の言うとおり、
ルーテル教徒同様に絶対主義的な傾向の強い、
清教徒達は、結局イギリスには居辛くなり、
新天地を求めてアメリカ大陸へと船出する羽目になる訳だ。

ここが運命の分かれ目!だったんだけどね…

さらにこういったイギリス人達の、
相対的に物事を見る性向は、
植民地を多数抱えた大英帝国時代において、
さらに強化されたのではないかと俺は思っている。

インドやアジアで出会ったのは、
自分たちの基盤よりさらに古く強固な文化を持ち、
大人口を抱えた広大な国々。

支配と貿易の為に赴任した当時のイギリス人達は、
島国根性からか?自分のアイディンティティーを守ろうとして、
クソ暑い熱帯でわざわざ洋館に住んだりと、
まあ、大いに苦労した訳だな(笑)

ただ、接触期間が長くなれば、
文化というものは自動的に融合して変容していく。

さらに、
直接現地で異文化の人々と深く接触する事は、
逆説的に自分達の寄って立つ文化に対する観点を、
相対化させる作用をも持つ。

これが、自分達の価値観を絶対視しない、という、
英国人の現代に至る、
グローバリズムの萌芽を生み出したのではないのだろうか?

本土から大多数の人間が異文化圏に移り住む事は全く無く、
軍事力と経済力による間接支配の形態を取った、
アメリカの『新帝国主義』と言うべき偏狭な世界観とは対象的にね。

さらに、
人口が多く人種・言語・文化が全く異なる土地を、
植民地化し支配した場合、
支配する側が被支配者に要求を伝える時には、
一歩間違えると反乱を誘発する可能性も大きいため、
相手が飲み込み易いかたちで、
それを上手く告知する必要性がある訳だ。

当然、それに伴い修辞法や表現方法も発達する。

自らが半歩引きながら相手のスタンスを確かめつつ、
相手に確実に理解してもらえる様に考えつくして、
メッセージを発信する…

これがイギリスの音楽ばかりではなく、
文化面全てに見られるといって良い独特の演劇性の
大きな源泉になっているのではないか。
と、俺は考えているんだ。

異民族・異文化との絶えざる接触が触媒になって、
演劇性っていう第二の天性が、
イギリス人に後天的に付与された。とでも言ったらよいのか…

だから、以前俺に話してくれた様に、
食事の時に日本人がパセリを残すのを見たイギリス人の口から、、
「日本ではパセリを食べない。と言う宗教が流行っているのか?」
なんて、気が利いていて、
相手を不快にさせないセリフが直ぐに出てくる。

もしこれがアメリカ人だったら、
健康と栄養を云々しながら、
押し付けがましい言葉で説教を垂れそうだよな。

何しろアメリカンスタンダード=ワールドスタンダードと、
つい最近まで思い込んでいた、
面の皮の厚ーい連中だからね。

プリチャー=説教師とも訳せるってか(笑)

さて、そのアメリカは?っていうと…

最初に上陸して東部海岸地区を中心に、
政治・経済的基盤を構築したのが、
プロテスタント原理主義?的故に、
故国イギリスに居られなくなった清教徒達だったという事が、
この国の方向性を殆んど決定付けた。

イギリスからの独立だって
自分達だけでの北米大陸での利潤独占が
その尤も強い動機にだった訳だしね。

自分達とは解釈の異なるキリスト教の教えを頂く、
祖国への忠誠心なんて元々薄かったろうし。

貴殿の言う、

>アメリカ移民の理想とはすなわち教会の桎梏から逃れ、
>.自由に利益を追求することに他ならない。
>アメリカ人が口にする「自由」とは、
>利益の追求と独占の自由であることを忘れてはならない。

というアメリカ人の御馴染みのスタンスは、
ここからスタートする訳だ。

こういった傾向を促進したのは、
彼らの征服した新大陸の先住民が、
イギリスに対するケルト系の諸民族やインド人なんかと違い、
思想的には深いものを持っていたけれど、
火器の発達した白人移民たちからの直接的暴力には弱かった、
人口の少ないネイティブ・アメリカン諸部族だった事もあるだろうね。

順調に進む征服と開拓…
滅んでいく異民族の異教徒達…

独善性と優越心をさらに高めるには充分だった筈だ。

サンクスギビングディの由来になんて、
その偽善の嫌らしい部分が良く現れている。

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さらに続けよう!

ここで不思議なのは、
アメリカではこの後技術文明はどんどん進歩するのに、
何故か文化面での新しい現象があまり見られない事。

普通ならば、その後は世界中から様々な人種が、
北アメリカに移民として大量に流れ込んできたのだから、
文化的な融合がどんどん起きて、
アメリカ発の様々な新しい芸術や思想が、
早い時期から生まれて来てもおかしくなかったのに。

音楽面だけを見ても、

>その音楽はスイスのヨーデルやドイツなどのポルカ、
>今もケイジャン音楽としてルイジアナに残るフランスのダンス音楽などとともに、
>恐らく最大勢力だったのは英国とアイルランドの音楽だった筈。
>こうしてカントリー音楽が形成されるのが入植開始後のアメリカの音楽状況だったでしょう

と言う状況が長ーく続いてしまうんだよね。

それに付け加えられるのは、
せいぜい南部での萌芽期の黒人音楽位かな。

結局これって、
アメリカの実質的な政治と経済を、
排他的で独善性が強いプロテスタント系の連中が支配した為に、
移民たちの多くも出身地別に社会階層的に分割?されるような状態で、
結局は健全な意味での創造的な文化の融合が
起こり辛かったからだと、俺には思える。

労働力確保の目的を奴隷解放という、
偽善的な名目論で覆い隠した、
実際は理想などとは程遠い南北戦争の結果、
開放されて自由の身になった筈の黒人達の運命が、
その一番悲惨な例。

それまで暮らしていた南部では、
反動で今まで以上に差別意識が強くなった、
在地の白人達に酷い蔑視と迫害を受け。
まともな生活を求めて移住した北部や西部でも、
露骨に差別されて最底辺の生活を、
ニューヨーク・ハーレムの様な、
黒人専用と言って良い貧民街の一ブロックで、
送る事を余儀なくされた。

当然、この場合は黒人達と白人は対立的関係のまま。

ブラジルの様に融合して新しい文化の発生、
なんて事態が起こり得る筈が無いよな。

社会的・経済的に優越している白人が、
黒人をただの軽蔑の対象としか見ない以上、
白人文明を受容する事はできても、
自分達からは何かを発信仕様が無い、
実質的には一種の隔離状態に置かれてしまった訳だし。

結局、黒人たちの独自に発達した音楽文化が
市民権を得るのはその後まる一世代以上経た後の、
1920年代のハーレム・ルネッサンスの時代に
なってからだった筈だよね。

さらに、
実質的には黒人音楽と白人音楽のハイブリッドである、
現在まで続くロックミュージックの原型が生まれたのは、
第二次大戦が終わってから。

これは、大戦とその後の朝鮮戦争の時に、
白人も黒人もアジア系も全部同じ兵舎にぶち込まれ、
同じ戦場で戦うという、アメリカ史上初めての出来事(笑)
があって、ようやく文化融合が起こったせいではないか?
などと、俺は思ったりするのだけれどね。

その後のイギリスとアメリカの音楽の展開については、
貴殿の言うとおりで、余り付け足すところは無いのだが…

>アメリカの音楽って妙に身を切るような酷薄なとこがあったりして疲れる事があるんだよな。 
>自分を追い込んじゃうというか・・・
>ドアーズの世界、あるいはジャニス・ジョプリンもそうかな・・・

っていう点については、
アメリカが個々人が神と向き合う教理の、
プロテスタントの国家である事以上に
やはりベトナム戦争が大きな影を落としているのではないのかな?

島国から出て諸外国の色々な文化と交わり続け、
勝ち負けを繰り返しながらだんだんと国を小さくしていくと言う。
歴史的な栄枯盛衰を身をもって経験したイギリス人と違い、
アメリカはそれまで資源豊かな大陸に殆んど無傷で蟠踞して、
実質的に敗北らしいものを全く知らずに来た、
いわば図体の大きな子供だった国。

それがよりによって有色人種の小国相手に戦争をして、
泥沼の様に疲弊し、負け掛かっているっていうショックは、
それまで2世紀以上も自己の絶対正義と優位性を信じきっていた、
アメリカ人達にとっては耐えがたいものだった筈だ。

アイディンティティーの崩壊の危機に、
うろたえ切ったとでも言うべきか…

だからこの時期以降のアメリカのロックシーンでは、
『ホテル・カリフォルニア』に代表されるような、
それまであまり無かった内省的なナンバーが目立つ様になる。

デビュー時期は少し後の時代だけど、
ブルース・スプリングスティーンなんて、
アメリカ人の自信喪失という現実を直視したからこそ
あれほど熱狂的な支持を受けたのだろう。

さらに付け加えると、
音楽に限っていえばご指摘のとおり、

>そこに突然前々回に述べたブリティッシュ・インヴェージョンが起こる・・・・・ 
>ビートルズが全てを変えたのです。いきなりアメリカを打ち負かした。
>それまでアメリカ人は英国のポップスを低く見ていたのに、です。
>以後英国勢はストーンズ、ザ・フー、キンクス、ツェッペリン、
>と立て続けにアメリカ音楽市場を征服していくんです。
>まさに圧倒的な大攻勢です。

>このときのアメリカの負けっぷりはその後に米国クルマ業界が
>日本車に席巻される様と非常によく似ているように思います。
>バカにしていた者に負かされたのですから・・

ブリティッシュロックの大躍進って、
アメリカに与えた衝撃って凄いものだったのだろうな。

アメリカがここまで大きく出遅れた理由って、
売れればそれと同じ様なものばかり大量生産するし、
自己の優位性を過信し、本質が保守化しているので、
他から入ってくる新しいものを受け入れるのに時間が掛かる。っていう、
プロテスタント主流の国らしい性格が災いしたのだと俺には思える。

プレスリー調の楽曲と、チャックベリーのロッケン・ロールと、
シナトラ調のジャズベースのポップスさえ作り続けていれば、
世界市場を席巻したままでいられるって言う錯覚を、
音楽産業も国民全体もずーっと抱いたままだったって言うのか…

対照的にイギリス人の方は、歴史に培われた
異文化に対する偏見が少なく柔軟性が強い感性をフルに生かして、
ご存知の通り、ビートルーズやストーンズ、ゼップ以降の時代も、
どんどん新しいタイプの音楽を作り出していくんだよね。

クラシックを取り入れ、トラッドを取り入れ、
レゲエを取り入れ、という風にしてさ…

アメリカのミュージシャンの中でも頭の切れる
トッドがユートピアの『スゥイング・トゥ・ザ・ライト』の、
ジャケットで皮肉っている様に、
結局、保守的なアメリカ人が焚き火にくべて燃やしたのは、
ビートルーズのレコードではなく、自らの創造性だったんだよね。

アメリカは、ロックシーンに限って見ても、
確かに個性のある良いミュージシャンも一杯輩出してはいるのだけれど、
ビートルーズが流行ると、
文字通りの猿真似のモンキーズも作ってしまうお国柄でもあるし(笑)。

さすが元祖プラグマティズムの国、実利主義の極み!

かくしてデスコ(悪意からこう書いている)が流行れば、
大手レコード会社の旗振りの元、
猫も杓子もがデスコテックミュージックを作り続ける事になる訳だ。

おそらく、アメリカの音楽ビジネス界の中では、
売れれば勝ち!っていう価値観が主流を占めているだろうから、
'80年代の更なるイギリス音楽シーンの進化と躍進を見ても、
負けた!なんて考えている奴は意外と少ないのかも知れないな。

創造的なミュージシャン達の中には、
歯噛みをしていた奴も多かった事は想像できるけれどね…

かくして今のアメリカでも、
音的には'90年代からさしたる進歩も無く、
ファッション+音楽+映像クリップという、
'80年代イギリスのポップミュージックシーンの手法を、
そのままパクったとしか思えないレディ・ガガが持て囃されるのでしたとさ!

ーーーーーーーーーーー

さて、俺は今まで聴いた事が無かったのだけれど、
シャーデーってかなり良いね。これは完全にロキシー以降のイギリス音楽だな。

それからヒューイ・ルイス。これは完全にギターのリフだけで選曲したろう?

アメリカ人がこの手の音をやれば、イナタさが浮いてくるのは仕方が無いよ。
むしろ、その方がアメリカ市場では受け入れられやすいのではないかな…


ついでに書くと、
俺はテクノっぽいアレンジメントで歌うアメリカの女性シンガーだったら、
'97年にヒットした一発屋、メレディス・ブルックスの方が、
イナタいけれどいかにもアメリカぽくって好きだね。

最後にアルバム、『ブラーリング・ジ・エッジス』から2曲!







ついでに、
たまたま見つけた一曲目のアコースティックバージョンも・・・・・ 
曲の作りがしっかりしていないとこうは決まらないよな。





*****

投稿サンキュー!!  
実に歴史考察では私など頭があがりませんね。
確かにベトナム戦争がアメリカ音楽にもたらした影響はそのとおりでしょうな。

オレ、スプリングスティーン嫌いなんだけど、これで理由がわかった希ガス (笑)

メレディス・ブルックスはジョーン・ジェットとかを思い出しました。

こんど得意分野のアイリッシュの解説・紹介などもおながいします。

他の部員も投稿してね。

(好調)



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