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zoom RSS 書評: "Reckless"   Chrissie Hynde

<<   作成日時 : 2016/02/06 22:20   >>

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先日、英国出張の帰りの便がヒースロー空港で2:30も出発遅れ、しかたなく Duty Free Shop をぶらぶらしてて本屋に寄って見つけた本です。
もう一冊目についたのがクルマ・カルチャー番組 Top Gear のプレゼンターで英国流のシニカルなジョークがきわどい、ジェレミー・クラークソンの随筆集。
どっちにするか迷ったが結局こっちを買った。


ザ・プリテンダーズ(1979〜)の中心人物、クリシー・ハインドの自伝。 昨年10月ロンドンで出版。
"Reckless" : 向こう見ず



スラングだらけの口語体が混ざる文章を「解読」するのは骨が折れる。帰りの飛行機の中で三分の一くらいは読んでしまったが、なにぶん英和辞典も携行せず、実際は7割くらいしか理解できていないが概要は掴んだつもり。

プリテンダーズを生み出した70年代後半の英国ロックシーン、すなわち旧来のロックの大御所の人気が一段落して、突然出てきたパンク・ロックのムーヴメントに興味がある人にもおすすめします。 
比較的短い時間で収束したパンク・ブームは、直後に数々のストレートでフレッシュなロック・バンドを生み出す原動力になった。
英米のみならず全世界でヒットしたザ・プリテンダーズはその代表格であろう。 すなわちオレの用語で言うところの第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンの構成員だ。



個人的にプリテンダーズは好きなバンドであり、リアルタイムで聴いていたので思い入れも思い出もある。
ビールズ、ストーンズ、ツェッペリンをリアルタイムで消化するには若干若すぎた感があるオレだが、プリテンダーズはそういう音楽に慣れた耳には非常に新鮮だったのを憶えている。
大御所たちのデビュー時の鮮烈さを体験している世代かどうかが分かれ道なのかもしれないが、プリテンダーズの新鮮さを受け入れることが出来ず、旧来のロックにこもってしまうオレと同世代以上の人がけっこう居たものだ。 この当時、新しい音に乗り切れなかった人が現代の老害ロック・ファンの一典型となる。

さてクリシーは1951年、アメリカのオハイオ州アクロン生まれで、ロンドンに出てきたのは73年だ。
オハイオ時代からロック歌手になることを夢見ていたが、アメリカではバンドを組むことすら出来ず、全く無名のロック少女(22歳だが)の状態で渡英、たちまち生活に困窮する。
アメリカから持ってきたのは数百ドル、まさに向こう見ずである。
あるとき知り合った男性に紹介されたのがニュー・ミュージカル・エクスプレスという雑誌のライターの仕事だった。

巷間クリシー・ハインドは音楽雑誌の記者で取材するほうが取材される側にまわった、と言われているが、実際は単なるバイトだったわけだ。

そうしてロンドンの音楽シーンに馴染んでいく過程が興味深く、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッド、ピストルズ、ダムド、クラッシュ、ニック・ロウなどの面々と知り合う。
シド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲンの事件も身内の不幸として体験した。
彼女はソロでのデビューは望まず、あくまでバンドを組み、その一員としてボーカル、そして自信は無いがサイドギターを弾きたいと思っていた。
その為かなかなか気にいったメンバーと巡り会えず、フランスに渡ったりアメリカに戻ったり、そしてようやく知り合った天才ギタリストのジエームス・ハニマン・スコット、ベースのピート・ファーンドンらとバンドを組んだのは79年、28歳の時だった。

結成直後からヒットを飛ばし、世界的なスターになったのはご存知のとおり。

しかし82年にドラッグにはまり過ぎたベースのピートが脱落、その後ギタリストのジェームスがドラッグで死亡、ピートもヘロイン過剰摂取で死亡・・・
実はこの本の内容はここまでであり、84年から新メンバーに移行する経緯など、けっこう知りたかったこれ以降の話は一切書かれていない。
ただ二人の死後 "Learing to Crawl" から参加する強力ギタリスト、ロビー・マッキントッシュはジミーが見つけてきて、一緒に演奏しようと相談していた、と書いてある。


そこで思う。
初期の三枚のアルバム・ジャケットはバンド全員が写っている。 クリシーは自分だけが目立つのを嫌っていたからだ。
ところが Get Close 以後はクリシー一人の写真ばかりだ。

つまりクリシーが強い思い入れとともに回想出来るのは、スターダムに躍り出るまでの青春時代と、初期メンバーと作り上げた2枚のアルバムまでということだろう。
それ以降は好むと好まざるとクリシーをクローズアップし、プリテンダーズ イコール クリシー・ハインドという売り方をせざるを得なかった。
「むこうみずな人生」と彼女が自認するのはデビューし、ヒットするまでであり、その後の話は今はまだ出来ないということか。

彼女自身による序文と、最後のエピローグを読むと、初期プリテンダーズが彼女にとってどれほどの「宝物」であったかが伝わってくる。


★ 序文

27歳のときずっと探し求めてきた人と出会った。 だが初めは彼が「その人」だとは気づかなかった。
彼との錬金術により、醜いアヒルが白鳥に生まれ変わり、私は彼と一緒に飛び立った。
彼とピート、マーチンと一緒に輝く太陽に向かって船出したのだ。

これは私達の物語だ。私とジミー、そして全てのイカれた友人の物語だが、多くはもうこの世に居ない。
父や母が生きていた頃だったら話せないような内容であり、私が彼等のもとから巣立った以降の話をするにはウソもつかなければならなかったろう。
お父さん、お母さんごめんなさい。でもあなた達は私のことを誇りに思ってくれた。
この本の半分はしょうもない話だけど、あとの半分はあなたの聴いた私の音楽についてである。
向こう見ずな私の人生についてだ。


*解説
ここで言う彼とはギタリストのジェームス(ジミー)・ハニマン・スコットのことだ。
クリシーはジミーの音楽性を最大に評価している。 またクリシーの曲は彼のアレンジによって洗練されヒットしたのだった。
なおジミーとクリシーは恋仲ではなく、むしろ彼女はピートとつきあい、別れた。 ジミーは音楽の同士であり導師だったのだ。


★ エピローグ(終章)

その後もバンドは続いた。メンバーもプロデューサーも変わった。 昔ヒットした曲を演るのは楽しいものだ。
それはそれでいい。

小さな家庭を築き、子供を育てる喜びも知った。
まだロンドンに住んでいるし、パリにも行くようにしている。
この本は私のドラッグ、タバコ、酒に色どられているのは見てのとおりだが、それらは苦しみを生むので
今は全てやめた。

哲学的にはあいかわらずバガバッド・ギータを愛読して心の平安を得ている。
いくつか浮いた話もあったが、ずっと独身のままだ。
瞑想によって悲しみから解放されれば、いつもユーモアを保っていられる。

初めの頃、メンバ−の一人でも抜けたらそれはもうプリテンダーズではない、と話していた。
しかしピートをクビにした時、私達残りのメンバーはバンド名を変えなかった。

ピートを失ったこと、もう彼とは話せないことから立ち直ることは出来なかった。
彼は私によってこの世界に引きずりこまれ、そこで死んだからだ。

ジミーの死は全く思いもよらないものだった。
ギターを弾くのが好きで、いつも私に方向を示してくれた。彼のおかげで私だけでは出来ないことが出来た。
そしてそれは彼にしか出来なかった。

彼が死んだとき、そのままバンドをやめたとしたら音楽は死ぬことになる。
ジミーはそれを望まないだろう。
音楽のことでわからない事があるとジミーが教えてくれた。
まるで彼がとなりに居てアドバイスしてくれるようだった。
ジミーに訊くと答えてくれる、これが15年ほど続いた。
しかし今はそれも薄らいで、ジミーは昇天したようである。


*******

結局プリテンダーズの看板を掲げ続けるのは、ジミーやピート、そして向こう見ずだった「あの頃」へのクリシーの愛惜の情ゆえなのだろう。


ここで最初のヒット、Brass in Pocket をどーぞ




クリシーはバイトでウエイトレスもやったというのがわかるような・・・バンドの面々も客として登場してます。
彼女の作曲にジミーが手を加えたもの。 クリシーのボーカルは全然上手いとは言えないが心に迫るのは何故だろう?



それにしても・・・
アメリカ人が英国に渡り、そこでデビューして成功者になった例って他にあるんだろうか? 他の例はどうしても思い浮かばない。

彼女の出身地、オハイオはラジオ局に優れたDJが居たことでは全米屈指だったそうだ。 ラジオで出会った数々のロック音楽が人生を変えていく。
(ヴァン・モリソンがラジオにかじりついて黒人音楽を聴いていたのと同じだ。)
またオハイオはニューヨークにも近く、イギリスから来るロックバンドもNYで演る前にオハイオで公演し、当たりをつけることが多かったという。
つまり彼女の育ったオハイオはロックミュージックが盛んなエリアでライブ・コンサートも多かったのだ。 

そんな彼女がイギリスに憧れたのは、やはり英国ロックのカッコ良いファッションやスタイルに惹かれたからだと思う。
パンクをファッション面で引っ張ったマクラーレンとウエストウッドの店で働いたことがあるのもそういう理由だろう。
もちろん音楽的にも英国のロックにしびれていたのだろうが、クリシーが渡英時に持っていった3枚のLP、すなわちどうしても手放せない音楽は以下のようにアメリカ産である。

"White Light / White Heat" Velvet Underground (1968)

"Fun House" Iggy Pop (1970)

"Raw Power" Iggy Pop (1973)


ルー・リードとかイギー・ポップてのは東部の人で英国ロックへの距離は近いですね。 そもそもアンダーグラウンドと自称するほどに、この手のロックは
アメリカでは主流になれない。 ところがイギリスではデヴィッド・ボウイ始め、そういう音楽が主流になり得た点、こういう音楽の中心地はロンドンだ、
とクリシーが考え、そこに渡ったということだろう。 



この手の本は意外にすぐ邦訳が出るものです。
プリテンダーズ・ファンは必読、出たらぜひ買って読んでみてください。
クリシー個人が持っていた昔の写真も満載で興味深いです。





















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